音楽と関係ない投稿について、のそもそも論。
このサイトはそもそも個人的ないろんな投稿をする「扉のサイト」として始まりました。
唐突ですねww
今日は、このサイトが『なんで雑多で煩雑な記事なのか、についての「言い訳」のコラム』です。
なので、猫やワンコのサイトや、
くだらない徒然のコラムや、
自分の音楽ネタや、
所属しているバンドや団体、ボランティアのサイトや、
食べ物だけを投稿しているサイトや、
風景だけを投稿しているサイトや、
自分が好きなバンドのファンサイトや、
仕事的な技術の話題のサイトや・・・・
一方で子供たちのことやらetc
といったいろいろなサイトのインデックスだったものです。
それが、個々の管理が大変すぎて統合していった、もしくは統合している、いく、のでかなり雑多です。
根底の主旨は、人の総合力は、「何か一点に絞った」努力や経過、結果、を目指す方法と、「総合的にいろいろな視野から」同様にその内容やプロセス、作品を見せていく方法と、両方あるということです。
音楽ネタは、自分の中でも最も大きく、まとめきれないほど情報量がありますし、やめることもない趣味でしょう。
一方で、例えば今盛り上がっているラグビーはネタとしては幼稚園の時に大人がスクラムを組んでいるのを生で見たことが発端で、ボールに触る機会があって、小学校に上がると同時に入ったスクールで教わった言ってみれば僕の中で「当たり前にやってきた」スポーツです。これも自分の一部。誇りでもあり、恥ずかしいことも沢山ある、そういう視点からラグビーワールドカップは見逃せない大きなトピックになります。
他にも、趣味と言えるのでしょうか。犬猫との戯れは好きですし、ボランティアは趣味でしょうね。仕事ではないww
食べるものも趣味で選ぶでしょうし、綺麗な風景、特に夕陽が大好きです。
このサイトに来られた方はお気づきでしょうけれど、音楽業界を主に、著名な方とお会いしてその空気に触れたいのも趣味でしょう。
趣味のインデックス=活動のログをホームページに書く=ブログ、ということになります。
ジャンルは何?と聞かれれば、
ジャンルはない??のでしょうね。
芸能人でもあるまいし、ブログに何の価値があるのだろうかと思われる方も多いかもしれませんが、
このようにでもしないと引きこもりになってしまって。社会との接点を見いだせなくなってしまうんじゃないかという恐怖感がどこかにあります。
例えば、の話ですが、
社会人ともなると、自分にとっては理不尽なこともたくさん起きます。
例えば、の話ですが、
ある日、上司に「お前みたいな役立たずで友人もいないような人材は俺に言われたとおりにやっておけばいいんだ!」
と昭和の香りがする叱責を貰ったとします。
きっと僕だったらこう考えます。
「会社の中だけ、ましてや会社の中でも上司の言ったことだけを100%の”世界”だと信じる必要が”業務的には”正しいでしょう。なので、業務としての”言われた通り”を実践するのは当然。一方で、人としてはからり多趣味で且つ友人はともかく、知人やいろんな方との交流はできるだけ前向きにしている中で、友人が”少ない”ほうではないし、”結構役に立っている場面”もあるのだろうとも自負しています。となると、モノをどの角度・視点でみるかで随分と評価も変わるのだな、と感じます。そして、実際そういった個人的な事柄で業務的な事柄が回っていることを実感する場面も多いと感じます。お客様の中に友人も多々いますし、友人が業務的な支援をしてくれることもありますし、100%業務上のお付き合いの方も、その根っこの心情的な部分でお互いを尊重することが、円滑に業務を回しているという理想論は求めたい。なので、言われた通りのことをするのは当然ですが、一人の人間としては”関連のなさそうな事柄”であっても手を抜かずにいろいろとやることが当たり前で、特にそうするべきだとも思いませんが、そうなってしまうのが私なのでしょう」
このたとえ話は、少々組織論をやったことがある方ならお分かりだと思いますが、三面の逃げ道をふさいで、一面開けておいてそこに人材を追い込む、という人の動かし方です。
こちら方向にしか道がないのだよ、と上司が部下をコントロールする方法論。
例えば、の話ですが、上司が部下にわからないようにうまくできる場合は、部下はそうとは知らずにその残った方向に道を進む、それもとても頑張るということになります。
時々、パワハラや虐待やいじめのニュースでも出てくる話題です。
会社で給与を貰って働いている労働提供者サイドは、そんな高度なテクニックを使って誘導しなくても、「はい、これやっといて」で十分。
追い込まれなくても自分の仕事をちゃんとやるのが普通でしょう。
なぜ上役は「こうあるべきだ」という姿を部下に伝えるときに高圧的になる必要があるのでしょうか。
それは、高圧的に立ち振るわないと、部下に「なめられて言うことを聞かないんじゃないか」と思うからです。
感情論、です。
実際に仕事をしていない人材もいるでしょうし、叱責しなければならない場面はもちろんあるでしょう。
自分自身、スタッフが別の方向に向かったり、協調性をもって行動してくれないときは高圧的になるのかもしれません。いや、なっているのだと思います。
上司であれ、部下であれ、円滑に事を進めたい、という気持ちには変わりはありません。
ズレはどこに生じるか。
例えば、の話ですが、上司が自身の感情を満たすために部下に対して立ち振る舞うと仮定すると、なにかわかる気がします。
「俺の手柄だ」とか「俺は偉いんだぞ」とか「俺の言っていることだけ聞いていればいいんだ」など。
例えば「俺の手柄だ」論。
いやもう特に反論する気はありません。上司が部下である自分の業務の責任を負っている以上、当然とも言えます。指示系統のあなたの手柄であることは間違いありません。突き詰めれば社長の手柄であり、会社の手柄なので、会社としては利益を得ることになります。会社が利することは会社の手柄となりますし、その手柄の立役者は誰か、といえばその責任者でしょう。
この話題で若い方が「やる気をなくす」理由はただ一つ。
「何もしないのに手柄だけ横取りする上司がいる」という感情論。
上司はそうならないよう、スタッフに気持ちよく働いてもらう努力をするべきですね。
例えば「俺は偉いんだぞ」論。
本当に偉い立場の方が「俺は偉いんだぞ」ということはありませんが、稀にそういわれる方がいるのも事実です。
類義語としては「俺は金持ちなんだぞ」とかでしょうか。
ほぼほぼ、本当にお金を持っている人は言わないんですが。稀に言われる方もいらっしゃいます。
十分偉い方が、わざわざ偉いといわれる場合には、きっと絶対的な立場で話しているのではなく、「相対的に」話している場合が多い気がします。
直球でいえば、部下のほうがどうも「偉そうな口をきいたり」する場合でしょうか。
なので、「俺は偉いんだぞ!なんだその口の利き方は!お前は立場をわきまえろ!」というセンテンスになるんでしょうか。
客観的に言うと、かなり不毛な状態ですね。
例えば、もし自分が言われている部下の立場になったらどうしたらいいんでしょうか。
きっと「その通りです!あなたは偉いんです!だから敬意を払っていますし、私にはまるで及ばない権限や発想力もお持ちです!」と空気を読んで言うのか、むしろこんなことを言ったらより一層火に油を注ぐのか悩んだげく、『黙っておく』のかな、と思います。
この話題、あんまりおもしろくないな・・・。
やめますかww
脇道にそれたのは、「存在」についてお話したかったからです。
自分がここに存在している証、
存在していた証、みたいなものが先言った「ひきこもりになってしまう=ニートになる」とか「社会に属さない」とか「お前なんか役に立たない」的な事柄へのささやかな抵抗なのかもしれません。
つまり、簡単に言えばこのブログは、ここに私がいるよ、というささやかな抵抗というかささやかな主張、なんでしょう。
そして、このブログは、そういう私が運営しているので、やはりどうしても雑多になるようですww
ぞんざいする分野が雑多なのですから、話題も雑多。考えも一貫していない=あり方も雑多、とうことです。
YOUTUBEへの動画の投稿も同じことが言えます。
できるだけ、ごちゃごちゃにならないように、音楽ネタに絞るつもりはあるんですがww
そうでないものも出てきてしまうのが「自分」なのでしょう。
ご容赦を・・・・。
おそらく少ないとはいえ、毎日結構なアクセス数があります。
そんな皆さんへの「言い訳」でございました。
特に音楽ネタを期待してこられる皆さんには変な記事が多くてすいませんww ←ほんとにそう思っているのかキミはww
人間なんて何かの定義で絞れるものじゃないですものね。
このサイトでは「こうすべき」とか「こういうルールでしょ」的なことは重視していないのです。
自分に与えられたお仕事は別ですよ!ww