「手紙」 |直木賞|2006年10月21日

 直木賞をとった、なんとかさんの「手紙」という小説を読んだ。
感想ではなく、何を感じたか、を残してみよう。今日はそれが日記。

 小説の内容については、一度読んでいただく、として、あまり深くは触れない。もちろん、読んでいない人に先入観を与えてしまうのは失礼極まりない。

 人にはそれぞれいろんな生き方がある。それは、自分から望んで夢を手にいれる人生かもしれないし、いろんな制約の中でままならない人生かもしれない。
逃げるか、逃げずに受け入れて、もしくは向かい合って生きてゆくか、そういう二者択一になりがちだ。実際にはバランスや、自分の程度問題で取捨選択をしながら生きているんだろう。おいらももちろん極端にどちらでもなく、前者の夢を求めたり、後者の制約の中で生きていたりする。

 誰にも言わないこと。
 誰にもいえないこと。
 誰かに知ってもらいたいこと。
 誰にも知られたくないこと。
「ここにも書くことはない」し、「これからも言うこともない」だろう秘密が、人には少なからずある。きっとあなたにあるように、おいらにも少なからずある。

 笑える失敗談や、本人が真剣なのに、からかいがいのあるエピソード、といった話題なら短期間で人も忘れたり、面白く、肯定的な部分を友人がうまく演出してくれたりして、本人の痛々しい心の傷をえぐることも無く、人生は進んでいく。
 これまでに、少なからずそういう友人たちにおいらもめぐり合うことができた。逆に、人のことなら客観視できるからこそアドバイスも可能な”簡単な”ことも、いざ自分のこととなるとできない。間違いなくわからない。軌道修正できるのは本人では無理で、周りの人たちの支援によるものであることが多い。というより、いまのところ100%そうだ。

 彼らは、きっとある程度おいら、という人物像を加味した上で、ある人はずけずけとものを言い、ある人は柔らかく丁寧に言葉を選びながら、またある人は態度や行動で指し示したり、いろいろな伝え方で進むべき道を教えてくれる。テレビを見るように、音楽を聴くように、本を読むように、おいらが一方的に「そうか!」と思う瞬間も無いわけではないが、そういった場合はあまり心の奥まで届かないのか、残念ながらあまり影響が長続きしない。その意味で自分はとても現実主義者、と自分でも思う。頭でわかっているつもりでも、実際に体験してみないと理解できない、という考え方なのだろう。

 強引とも言える結び付け方ではあるが、それは人とのコミュニケーションにも現れる。「話しても受け入れがたい事実」「話しても理解できないこと」「頭ではわかるが、感情的に受け入れがたいもの」といったものが、自分にもあるし、相手にもある。

 ましてや、社会性を欠いたり、変に不必要な好意的な心配や、避けて通る為の方法を考えさせたりする、という点でもなんでもあけすけに言わないほうがよい、と思われる話題もある。

 この本を読んで(実をいうと、何回か読み返してしまった、というのが正しいのだが)、単に小説のなかで繰り広げられている主人公の学ぶ生き方を他人事として捉えられない、と感じた自分に気づいた。もちろん、誤解を恐れずに我が実兄がご存知の方もいるように全くもって、尊敬に値するであろう人物であることを踏まえ(家族の欲目である尊敬も含め)人物設定や物語の進行には全く類似する点がない、にしても、である。実際、我が家族は幸せにやっているほうだと思う。

 それでも、他人事とは思えない。

 先日、ある人に言われた。
 「完璧な人間なんていないんだよ・・・」
 これは、あまりいい意味で投げかけられた言葉ではない。おいらにとってどう聞こえているか、といえば、「おまえは自分のことを完璧だと思って回りのものをその考えに従わせようとする。周りのものにはそれぞれの意見や考え方がある。だからこそ、そういった声に耳を傾けて、もしくは尊重して生きていかないと、まともにやっていけないんじゃないか?」

 その昔、ある人に言われた。
 「正論だけで人を切って捨てるような真似は止めなさい。」

 おいらもわざわざ人との軋轢を作りたい、と願っているわけではない。できれば揉め事に関わり合いたくない、という非常に消極的な感情がもちろんある。そのときに避ける”術”に長けていれば、もしくは周囲に期待していなければ、さらには自分がもう少しだけでも大人であったなら、こういう注意やアドバイスを受けることは無かったかもしれない。
 逆に、おいらの悪い面だけでなく、少しはあるだろう良い面も出なかっただろう、とフォローしてくれる人も実際いた。

 どうもおいらにはそういうことができないらしい。協調性や社会性といったものを軽視しがち、ということなのだろうか。もうずいぶんこういうことで悩んでいる気がする。自分で軽視しているつもりは毛頭ないが、うまくやっている友人や知人を見ると、まねしたくなる。しかし、所詮真似・・・。できない。

 この歳になって悩むべきことではないのかもしれない。精神年齢が低いのかもしれない。でも、この悩みはきっとおいらがじじいになる頃にも解決していない気がする。
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「手紙」

主人公は答えを見つけたようだ。いや、たどり着いたようだ。
小説のごとく、自分は答えを見つけられるのか・・・。
いや、答えにめぐり合う生き方をできるのだろうか・・・。
それ以前に、答え、はあるのだろうか・・・。

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